毎日、毎日その日一日の自分を帰り道で振り返ってみて違っている気がしている。

どんな自分であってもそれは自分の一形態に過ぎないから「それも正解」であるはずなんだけれど周りとうまくやれていない気がするのはなぜ?

今日の自分は昨日の自分の反省を生かしたはずなんだけれど。これで万事うまくいくと昨日は思ったんだけれどな。と毎日思っている。

逆に「うまくいった」と思う日は何かが自覚できていない中で過剰だったり、不足していたりする気がする。無感覚でどおにも進んでいない。停滞している。一番だめだ。

今の違和感はそれはそれでそれなりの誤差に気が付けている結果か。向かい風でも感じるのならばそれは移動している証拠になるか。ならばよし。

天気が悪かったので冷たい小雨が降っているのか降っていないのかわからない中を二駅分歩いて帰った。一人、歩くことはいいことだ。歩くリズムの中でいろんなことが浮かんでは消える。消えたと思ったら急にぶり返してきたりする。

問題はいろいろと寄り道をして散財しがちなことだ。ちゃんと消費期限を確認して買い物しないと。一人でシュークリーム二個は多い。散財をして脂肪を貯蓄している。不要。

日々、是好日。日々、反省。日々、後悔。

どうも同じところをくるくると回っている。可愛げのある犬のように自分のしっぽを追いかけているくらいならいいんだけれど、道に迷った感じである。困った、困った、明かりが見えぬと頭を抱えている。

反省すれば学習をして同じ失敗は繰り返さない。はずなんだけれど繰り返しますね。表層は違えど本質は同一。しかし、「その瞬間」はわからないもんだ。

反省しようが後悔しようが間違い続ける。失敗し続ける。怒られる。迷惑を掛ける。

どうもフィクションの読み過ぎで当たり前のことがわからなくなっていたみたいだ。どんな人間だって大小の迷惑を掛けあって生きている。生まれた時から物体としても存在としても「摩擦」は起こっている。「摩擦」こそ「存在」だ。

自分のどこかに一番、いいバランスのポイントがあるはずなんだけれどいつも内的・外的な引力や圧力、風圧でブレてバランスを崩してしまっている。容易に同じところに帰ってこれない。ここでも迷っている。

いろいろと「やりたいこと」を夢想しながらも何も実行に移せていない。現実的な検討の結果や天地人がそろっていないと言えばそれまでだけれど。

自分のアラばかり目立って嫌になる。でもそういう歪なところを撫でながら「ま、仕方ないよね。俺だもんね。そうそううまくはやれんよね。」と自分を見放さず、ドロドロぬらぬらした自己嫌悪にどっぷり肩までつからずに自分という現有戦力でそれなりの勝負に持ち込むにはどうすればいいか考える気分になるあたりは私の成長と言っていいでしょう。

仕方ないよね、自分は交換できないし。いいところもあると思うんだよね。いいところって「できること」だから自分では簡単にできることだと思ってるけど他人にはできないこと、羨ましいと思われることもあるんだろう。だって、逆のことは毎日目の当たりにしているから。たぶん、逆もあるよ。あってほしい。あれよ。

いろいろと変わった。そりゃ時間が経っているから。石もいつのまにか苔生すし、ガードレールだって錆びる。

昔の自分からみた今の自分の年齢というものはとても遠くにあるように見えたけれどなってみれば昔となんら変わっていない。中身の成長は実感がなく、ただただ肌の質感と尻のラインに時間の経過を感じるだけだ。

時間の経過はそれなりに「やり過ごし方」をうまく身に付けさせたけれど過ぎていくスピードが加速しただけで、加速する中でもしっかり不安の種や捨ててしまうべき感情はしっかりと拾っていて捨て方のわからない中途半端な大きさの家電のように目の前に置いて頬杖をついてため息を吐くしかない。

ほんの少し前の自分からすれば素晴らしい小説のようにあまり寄り添うには無理な軌道を描かずによくも悪くも想像もしていなかった状況の中にいる。

当たり前だけれどいい日も悪い日が続くこともあった結果、時間が経ったということに過ぎない。予想する・未来に備えるということは近距離なら非常に有効だけれど中距離以上になると「これからどうなるだろう」なんて考えないほうがいい。自然体という力を抜いた究極の構えをしてあまり可能性を限定しないほうがいいんじゃないかと振り返って思う。

いろいろとすべきことがあって昔、大事にしていたいろんなことを置き去りにしている。それが今だといえばそれまでなんだけれど少しでいいから置き去りにしたものをたまに手に取って眺めてみるというのも刺激になるのかもしれない。

それなりに定まった生活をしていると定期的によくない感情がドロリと底に溜まってしまう。それが人の情だといえばそれまでかもしれないけれど。溜まったことにも気づきもしないのはいかがなものか。なにかサインがあればいいだけれどサインに気づくことには大きな後悔が付きまとう。

もう少し、うまくなりたい。

読み返してみても、なにも進歩してない。しかし、それが自分。

いつも、正直がいいとは限らない。

摩擦を和らげる潤滑的なものも必要だ。
いつもぶつかったり、擦れたりしていてはお互い削れてしまう。

今の自分を肯定しすぎることも否定しすぎることもなく。
あんまり自分ばかり見ていると距離感が分からなくなる。
たまには遠くの山を見るとか、目を閉じてみるとか必要だ。

「そうあるべき」とかいろいろモデリングはされているし、
示されているけれどまったくなりたくないからそこを目指したくは無いなー。
という甘えたことを言ってみる。

どこかちょっと重なる、なんだか惜しい感じで
ごまかしごまかしできなだろうか。

自分に対してよくも悪くも正直だから始末に困る。
長い付き合いだからかわいくもあるんですがね。
相談しながらやってみます。

梅雨もそれなりに楽しめる年頃になってしまった。
愉快。

風邪は日にち薬で本当にゆっくりと治っている。

寝ていても劇的によくならない。年を重ねたせいなのか。

それにしては俯瞰的に物事が見えていない。
当初の目的に最適化するだけではいけないようだ。
まあ、一つづつ経験をして選択肢を増やしていけばいいか。

結局、物数を尽くすしかない。

できないことに目がいって嫌になってしまうけれど
それなりにいろいろできていることもあるんだろう。

否定はつまらなくなってしまう。
肯定するほど自信も元気も無いけれど
次に波が来るまではパドリングしてみたり
空を見上げてみたりしていよう。

そのうちまた、元気も波もやってくる。

サーフィンやったこと無いけど。

風邪は日にち薬で本当にゆっくりと治っている。

寝ていても劇的によくならない。年を重ねたせいなのか。

それにしては俯瞰的に物事が見えていない。
当初の目的に最適化するだけではいけないようだ。
まあ、一つづつ経験をして選択肢を増やしていけばいいか。

結局、物数を尽くすしかない。

できないことに目がいって嫌になってしまうけれど
それなりにいろいろできていることもあるんだろう。

否定はつまらなくなってしまう。
肯定するほど自信も元気も無いけれど
次に波が来るまではパドリングしてみたり
空を見上げてみたりしていよう。

そのうちまた、元気も波もやってくる。

サーフィンやったこと無いけど。

久々に風邪を引いた。

熱が出て、まだ咳が残っている。

健康って大事。

進んでいるのか、進んでいないのか。

自分のほころびがたくさん目に付いて困るけれど
それはそれで進んでいる証拠な気もする。

あいかわらずよくわからん。