いろいろと変わった。そりゃ時間が経っているから。石もいつのまにか苔生すし、ガードレールだって錆びる。

昔の自分からみた今の自分の年齢というものはとても遠くにあるように見えたけれどなってみれば昔となんら変わっていない。中身の成長は実感がなく、ただただ肌の質感と尻のラインに時間の経過を感じるだけだ。

時間の経過はそれなりに「やり過ごし方」をうまく身に付けさせたけれど過ぎていくスピードが加速しただけで、加速する中でもしっかり不安の種や捨ててしまうべき感情はしっかりと拾っていて捨て方のわからない中途半端な大きさの家電のように目の前に置いて頬杖をついてため息を吐くしかない。

ほんの少し前の自分からすれば素晴らしい小説のようにあまり寄り添うには無理な軌道を描かずによくも悪くも想像もしていなかった状況の中にいる。

当たり前だけれどいい日も悪い日が続くこともあった結果、時間が経ったということに過ぎない。予想する・未来に備えるということは近距離なら非常に有効だけれど中距離以上になると「これからどうなるだろう」なんて考えないほうがいい。自然体という力を抜いた究極の構えをしてあまり可能性を限定しないほうがいいんじゃないかと振り返って思う。

いろいろとすべきことがあって昔、大事にしていたいろんなことを置き去りにしている。それが今だといえばそれまでなんだけれど少しでいいから置き去りにしたものをたまに手に取って眺めてみるというのも刺激になるのかもしれない。

それなりに定まった生活をしていると定期的によくない感情がドロリと底に溜まってしまう。それが人の情だといえばそれまでかもしれないけれど。溜まったことにも気づきもしないのはいかがなものか。なにかサインがあればいいだけれどサインに気づくことには大きな後悔が付きまとう。

もう少し、うまくなりたい。

読み返してみても、なにも進歩してない。しかし、それが自分。