身の回りの状況が変わっていることを感じ取っているのかもしれないし、ただ感度が鈍っているだけなのかもしれない。

もしかしたら、時間の経過が私の中に「経験」として集積されて判断が慎重になっているのかもしれないし、ただ消極的なだけかもしれない。

最近、どうも生活がよく言えば安定しているともいえるし、膠着しているとも言える。お蔭でよくも悪くもドキドキすることが少なくなっている。それなりのエネルギーで毎日をある程度ドライヴすることができる。

それでも「何か」を求めてスマホをシュッシュ、マウスをピコピコ動かして見るけれどそうそう毎日、「何か」に出会えるわけでもなく終わる。

この状況が失われた時に振り返って本当の価値を痛みと共に思い知るんだろうけれど今でもそれなりに「ありがたい」とは思っている。結構、いいバランスなんじゃないかと思う。そう思いたい。

同じ場所にずっと居ればそりゃ、いろんなものが変わっていってる。ある瞬間に自分の体内時計とクオーツ時計の差に気が付いて浦島太郎観に囚われたりする。

嫌でもなんでも時間という強制スクロールで進んでいくんだから刹那刹那を楽しむ努力をするくらいしか抱負がないな。

年齢は如実に尻に出る。