人生万事塞翁が馬。


繰り返している気がする。

視界が広がっていろんなものが見えると思っていたら、地平線の向こうにはっきり見えていないものが感じられて、始めた時から何も変わっていない気がする。

いつかは見えるようにはなるのだろう。経験と時間が後悔をゆっくりと薄めてくれるようにじわじわと見えるようにはなるのだろう。

後悔と反省をいっしょくたにしてしまう。

とりあえず時間を掛けることを続けようと思う。いつかはマシになるさ。


部屋が荒れた友人がいた。スマブラや007ゴールデンアイで熱狂を与えてくれたゲームキューブは埃にまみれ、床一面に本やら飲みかけの飲料が敷き詰められていた。部屋全体をデコレートするかのように硬貨が賽銭のようにちりばめられていた。赤色の布団の上だけが安全地帯で僕が部屋を尋ねると箱舟のようにのっかていた。


友人がそんな状態だった頃の年齢になった。僕の部屋を見ると同じように荒れている。部屋に散らばった硬貨の場所はなぜだか把握していて自販機にビールを買いにいくのに重宝している。

周りの人を見ていると僕だけが立ち止まったままに感じるけれど、それは錯覚で僕も彼らと同じような速度で移動しているのかもしれない。方向が違うのかもしれない。本当に立ち止まっているのかもしれない。深海をゆっくり泳ぐシーラカンスのように立ち止まってずっとその場にいれるということは悪くないかもしれない。


何がいいのか、悪いのかはわからないかもしれない。それはそれで白黒はっきりしないほうがいいかもしれない。